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※※2018/1/27追記:タルタロス:リバースは
2018年1月25日にサービス終了となりました。
その関係で現在ギルドメンバー募集はしておりません
ですがギルドの記念としてこの記事を一番上にしたままにして
おきます。

最終ギルドSS好きキャラ03

最終ギルドSS01
↑↑2018/1/30サービス終了直前のギルドメンバーでのSS追加
(遠征隊名の表示は各プレイヤーさんの許可を得ています。)
(以下はもともとのギルドメンバー募集の記事になります)

…なんと約三年ぶりの記事です^-^A;;
一時期、ほぼソロギルド状態になり、とても「入って下さい。」と
言えなかったのですが、最近ほぼ毎日ログインするメンバーが
増えてきたので、メンバー追加募集することにしました。

当ギルド"Harmonie(読み:アルモニ)"

少人数でまったり楽しむタイプのギルド

として続けております。

次々といろいろなお誘いがかかるようなエネルギッシュ過ぎる
ギルドは苦手という方におすすめです。

干渉しすぎず、かと言って無関心にもならないバランス

…を目標にしております。
…なので「ソロ活動は嫌だけど、ギルドに所属しても
ある程度放っておいてほしい」という距離感を求めている
方もい続けることができるギルドです。

その他の当ギルドの詳細を、以下に載せますので
「これなら一緒に活動していきたい」と思われた方は
この記事にコメントをよろしくお願いします。

【ギルド名】Harmonie
フランス語(読みアルモニ)で調和、一致という意味です)
【ギルドレベル】
【活動時間】20時~深夜2時ぐらいまで
【アクティブ人数】7人
(ほぼ毎日ログインする人は5人ぐらいです。
ただし勤務時間の関係で時間帯がちがう方もいます。)

【雰囲気】のんびり・まったりタイプ
【ギルドの方向性】あまり大人数になってしまうと
グループに分かれがちになり、リスト上に名前はあるけど
話したこともない人もいるという状態になるので、

大型ギルドにするつもりはありません。
【対戦】ギルド単位ではやっておりません。
【スカイプ】ギルド単位での使用はしておりません。
【ルール】運営さんの利用規約第5章の第18条の禁止事項
に載っていることは、基本的にギルド内でも
禁止だと思って下さい。

ネットとはいえ、人間関係ですので
"他の人への配慮と節度"をお互いに心がけましょう。
(暴言や、露骨すぎる下ネタなどは控えてください。)


ログイン率や勲章登録などにノルマを設けてはおりません。
あらかじめ、長期ログインできないことがわかっている場合は
なるべく事前に連絡していただけると嬉しいです。

【ログイン・アウト時の挨拶】義務ではありませんが
なるべくお願いしますというスタンスです。


※※新規さんには、各スキルの攻撃・防御レベルの関係など
戦闘システムの基本をしっかりと教えます。
(キャップ開放時や装備更新の時期はできないこともありますが
基本的にレベル上げにギルドマスターが引率いたします。)
※一部例外をのぞいて、基本的に引率時は
高レベル帯のキャラで無双して手伝うことはしません。
(いわゆる「インスタントレベル上げ」のことです)
それだと後々本人が困ることになるので
同じレベル帯のキャラがいなくて、こちらが高レベルキャラで
引率になるときは控えめに攻撃しながら、本人があぶなくなった時に
助けるような補助的な引率をします。

最終的には「自分自身で野良PTを立てても
安心してやっていけること」を目標にして
PTでのマナーも含め丁寧に教えます。

もちろん、ギルドメンバーでPT組んで
通常やチャレンジミッションに行くこともあります。

また、復帰者の方も歓迎しています。
カンスト付近の装備でさえ、もう精錬済みの
出品をあまり見かけない状況であり、
また、補助効果のついた「シップ装備も」
A級がまだ実装されていない現状、
最上級装備をチャレンジに通って
集める必要が出てくるB級の終わり辺り、
一緒に装備集めをできるかぎりお手伝いします。

体験加入も歓迎します。

人それぞれギルドに何を求めるかは違うと思いますので
当ギルドはギルドの人数を増やすことが一番の目的ではなく、
その人にとって一番いいギルドさんへ所属することが願いです
ので、「加入してみたけど、合わないな。」と思いましたら
遠慮なくおっしゃってください。その時は快く送り出します。

それでは、興味がありましたら、この記事にコメント下さい。
(自身のコメントを非表示にする機能もあります。)
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theme : タルタロス:リバース
genre : オンラインゲーム

line
とある映画の紹介文の中に
「物質的に恵まれたこの国で
    自○者が減らないのはなぜなのか」
(直接的表現を避けるため伏字にしてます)
という文章を見つけた。
もちろんね、この紹介文書いている人は
その映画を観たわけで、作成者本人ではわかっているけど
問題提議のために、この文章を書いたと思われますが、
もしかしたら、本当にわかっていない人も世の中には
いるかもしれないなぁと思ったので、こちらもブログ記事
にしてみました。(わかっている人はごめんねぇ。)

僕らの世代ね、親の世代がこれわからない人
多かったのよ。だって親のしつけとかでよく
聞かれた言葉が
「世界ではね、食べ物や水さえ手に入らない
かわいそうな人がいるよ。
それに比べたらあんたの悩みなんて贅沢だよ。」
…これだったんです。
(なお、この話でブログ主の世代がわかっちゃった
人は、くれぐry)

(。-`ω-)ンー…これ本気で言ってたのかな?
本当にわかってないの?これ本気で言ってきた人。


人間の幸せは果たして物質的に豊かなこと
「だけ」なのでしょうかねぇ。

なぜこの言葉が親の世代で流行ってたかと
いうと、親のそのまた親の世代が、
戦時中から戦後の極度の貧しさの中を苦しみながら
這いつくりばりながら、生きて、日本を
たてなおしてきたからだと推測してます。

極度の貧しさです。そのため、その世代の人は
たいていの人が「こんな貧しい苦しみ、
子供たちには味わせたくない。」という思い
で必死に働いたと思います。
でも、それがいつしか極端になってしまいました。
つまり…いつのまにか、物質的極貧=不幸ってことは
→幸せ=物質的豊かさ、ということである
という極端な認識にいってしまったと思われます。
それがたぶんうちらの親の世代、社会までもが
その片方の極端になってしまいました。
あまりにも物質的な貧困を子供に味わせたくないがために
物資的な供給ばかりに極端になって、働いてお金を稼ぐ
ことに極端になってしまいました。
そのため、何を忘れたと思いますか?

…この質問に答えられる人は、最初の問題提議の文章の
答えがわかる人です。

では、ここまででわからない人へヒントです。
「物質的充足」の対になる言葉、何かありますよね?
浮かびませんか?

わかりましたでしょうかねぇ。

答えは「精神的充足」です。
   『心』   の 充 足 で す。
これがわからないがために、
わが子に精神的充足を与えられない人も
結構いると思います。

この世界は見えるものと、見えないもので構成されて
おります。物質はたいていのものは目に見えますよね。
人の目に見えなくても、電子顕微鏡とかで拡大すれば
見えるものもあります。
ところがそういう機器を駆使しても見えないものが
精神…心の領域です。

身体的な飢え渇きも
「ちょっとおなかすいた」&「ちょっとのどが渇いた」
程度から
致死レベルまであるように、
実は精神面も、それがあるんです。

身体的な飢え渇きが食べ物と水というもので
満たせるなら、じゃあ心を満たすものはなに?

それは、
『無償に近い愛情を与えられること』
(つまり何々したら、何々できたら愛してやる、
何々(他の子にはない才能など)を持ってたら愛してやる、
という、条件付きの愛ではないものです)
と、
『存在価値を認められること』
(最近"承認欲求"という言葉
結構見かけるようになりましたよね。
これに関わること)です。


…あの、これ、真剣に言ってますからね。
後者はわからない人が多いとして、
愛情に関してはそれが心を満たすものの
大きな内の一つだということはわかりますよね。

心がこれらで満たされていないと、目には見えない
飢え渇きのために、人は苦しむのです。

もう一つ、飢え渇きの他に傷でたとえてみましょう。
身体的なケガについては、
目に見えますよね。
たとえば、あ、カッターで指を切っちゃった!とか
目に見えるので、怪我の程度がある程度推測可能
ですよね。
カッターによる傷でなくても、それが身体的な傷なら、
それがかすり傷なのか、深い傷なのか、そして
最悪の場合は致死レベルの傷なのか、
ある程度推測可能ですよね。

でも、心の傷は、目に見えないのでわからないの
です。みんな同じだと思ってしまう人が多いのです。

よく、「苦しんでいるのはあなただけじゃない。」
て僕も言われた世代ですが、これわかってないよね。
果たして、本当にあなたと私の苦しみの程度は
同じなのか?
いや、同じ可能性もあるんですよ。それは否定しません。
でも、こちらはちがう可能性もあり、同じ可能性もある
と認めた上で発言しているにも関わらず、上の言葉を
言う人は
「あなたと私の苦しみは同じ。(ちがうわけがない。)」
と決め付けて言ってるのです。
ここが大きくちがいます。
さて、苦しみの程度にちがいがあることも考えられるように
心の傷の程度も実はちがうことの可能性考えていますか?

かすり傷程度、深い傷、そして致死レベルの傷。
これ、わからないがために、自分の言葉が
相手の心を日本刀でバッサリレベルの傷を
与えていてもわからないんですよね。

致死レベルの人はどうなるか?って?
…はい。これが答えのですよ。
(正確には答えの内の一つですよ。)
上の提議文読んでみてくださいね。

これ、屁理屈唱えるやつがいるんだわ。
みんながみんな自○するわけではない。
それを選んだ人が弱いから悪い。
…これ本気で言う人いるんだわ。

あのね、身体的に強い弱いって個人差ありますよね。
中には平均値からすると極端に弱いという弱さを
持っている人がいます。
これは先天的にもそうですし、後天的原因で
そうなる場合もありますよね。

これを心に置き換えてみてくださいね。

置き換えてもわからない人、それじゃあ
身体的なものにたとえますね。
たとえば、生れつき、肌がめっちゃ弱い人。
普通の人がなんでもないものにかぶれたり、
かゆくて、かくとすぐに血が出るなどの症状が
ある人いますよね。

これってその人の努力だけで肌を強くすることできるの?

身体的に、本人の努力だけで、越えられない弱さが
あるんだったら、精神的にもそれはあるんじゃないかな?
と考えられないのでしょうかねぇ。

たとえが悪いかな?薬でなんとかなるって屁理屈
言いそうな人がいる可能性ありますよね。
それなら、他に、身体的に、本人の努力だけでは
越えられない傷や病気とかあるでしょう?

これね、百歩千歩譲って
精神的に弱い本人が悪い・・・とします。
僕はそう思ってないですからね!!
仮定しないと話が進まないから仮定している
だけですよ。

でもね、相手の心の強度が
ガラスのような強度なのか、
木のような強度なのか、
鉄のような強度なのか、
知ろうともしないで、

平気で石投げつけたり、
大切に取り扱わない人の側には

「何も問題、落ち度がないのでしょうか」ねぇ。


そう。目に見えないからこそ、余計気をつける
必要があるんですよ。
でも、結局気づかうのが面倒だから、
みんな同じ取り扱い方して、
結果的に割れてしまったら
「弱いのが悪い」と結論づけるわけですよね。

…さて、傷のたとえは終わりにして、
また飢え渇きのたとえの方に戻ります。

人間の精神的な土台が形成されるのは
だいたいいつぐらいだと思いますか?

心理学の世界では「0~5歳」が一番土台形成で
その後の人生に影響すると、言われています。

いわゆる、「児童心理学」または
「発達心理学」と呼ばれている分野です。
(いや、もちろんその後の人生だったら
どんなひどいことが起こっても
平気って意味じゃないですよ。)


でも、土台がガタガタの家と、土台がしっかり
している家、どちらが同じ揺れでも耐えられると
思いますか?

これは別に質問する程度じゃないですよね。
もちろん後者です。

0~5歳までに一番影響を与えるのは
ほぼ、親との関係です。
子供にとって一番最初の深く関わる
人間関係はたいてい親ですよね。
それまでの親との関係において
いかに「精神的充足を受けた」かが
後の人生にものすごく影響します。
ここで得られた充足感が、その人の
精神的な土台になるわけです。

だから、逆を言えば、この時期に
めちゃめちゃ飢え渇きを満たして
もらえなかった人は、
精神的に極度の飢え渇きを抱えたまま、
苦しみながら歩んでいくことになります。

はい。ここでまた屁理屈野郎がこんな理屈を
言うんですよね。
親子関係で飢え渇きを満たされなかった人が
みんなこうなるわけじゃない…。
はい。そのとおりです。
これは答え簡単なのですよ。

実はね、親が子供に精神的充足を
与えられなかったとしても、たとえば
その子の精神的土台形成の時期に
その子の「親の代わりに」
精神的充足を与えてくれる人と
出会えていた場合、その子の土台は
安定できるわけです。
たとえば、祖父母が代わりに与える
ことができた、とか学校の先生が
本来本当の親が与えるはずの
精神的充足を与えることができた、とか
その他知り合いでも、その子と深く
関われる人の中でそれが可能な人が
いた場合その子の精神的土台は
安定するわけです。
つまり、本人の努力ではどうしようも
ない領域であって、出会いという
運、というか運命的なものに左右
される要素なのです。

わかりましたでしょうか。

さて、話は物質的供給という片方の極端に
なりすぎた日本の社会についてです。

物資的供給を豊かにするためには
一般家庭では、"より"お金を稼ぐことが
手段になりますよね。
子供に極貧を味わせないために…
これさえ回避すればいい、という認識に
なってしまいました。
でも、その代償は何?
長時間労働ですよ。
もちろん、お金を稼ぐためだけではなく、
会社として、業務が終わらないから、
自分だけ帰るわけにはいかない、という
社会的人間関係も影響してますよね。

いずれにしても、この両方の理由で
急速に長時間労働が当然、という会社が
多数派の社会になってしまいました。

残業5、6時間当たり前。
そんな人が親の立場で帰宅したら
子供と関われますか?
もちろん、きちんと関わっている人も
いますよね。
でも、そんなに長時間労働してきた後
は、たいていの人は身体的にも
精神的にも疲れ切っています。
そういう時に、子供が
ねえ、パパ(ママでもいいですが)
聞いて聞いて、今日保育園でねぇ…
と話始めたらどうなるでしょうか?
パパ(あるいはママ)ねぇ、今日
仕事で大変だったから疲れているの。
悪いけど、もう寝てくれない?
と返事する可能性も出てきます。
また、ある人
「ねえ。それ今どうしても話さなきゃ
いけないことなの?どうしても、
という内容じゃないんだったら、
明日にしてくれる?」
と少しイラつきながら、答える人もいるでしょう。
ひどい場合は、
「なんでまだ起きてるんだ?
もう寝てなきゃいけない時間だろ!!」
と怒鳴りつける人もいます。

いずれにしてもですね、理由は極度の疲労。
わかります。でも、結果的に
子供との関わりを持てないという日が蓄積され続けて
一定以上越えると、その子供が
どうなるか…もうおわかりですね?


精神的充足を与えられず、その子供の
心の中に強烈な飢え渇きをそのまま残す
ことにつながるのです。
(その人の代わりに
その子に精神的充足を与えられる存在が
いなかった場合そうなるのですよ)

わからないですか?
なんで関わらないことがその子にとって
苦しみになるか…。

では、いじめを考えてみてくださいね。
身体的暴力のいじめ。これは苦しいと
わかりやすいですよね。
次、言葉の暴力、罵倒。
…これもわかりますよね?
では、次、身体的暴力もしないし、
言葉の暴力も何も言わない。でも…

「無視」

これ、苦しくないと思いますか?
あ、一人ぐらいに無視されても平気な人
いますか。
「こんなやつに無視されてもぜんぜん平気」って
例外もありますよね。

では、「この人には無視されたくない。
むしろ、愛されたい。自分を好きになってほしい」
と自分が思う相手に無視されたら?


…想像つきますよね。

これなんですよ。
このたとえをいじめから「虐待」へと
置き換えてみてくださいね。

身体的虐待。これはひどいと、わかりやすい
ですよね。(ま、これさえ「しつけ」と本気で
言い訳する人も、本当はちがうとわかって
いながら自己防衛のためにこれを理由にして
いる人もいますがね。)

次、言葉の暴力、罵倒、感情特に怒りを
子供にぶちまける、という精神的虐待。
これも、わかる人は今の世の中では
多くなってきたかな。
身体的虐待をしながら、精神的虐待は
してない、というケースはあり得ませんが、
これ、逆はあり得るんですよ。
身体的虐待はしてないが、精神的虐待は
日常的にしている親。これ、身体的虐待を
してないだけに親本人が気が付かない。
ここを詳しく説明してると今日の本筋が離れて
しまうので、この説明は後日ということ
にして、次にいきますね。

放置…ネグレストというやつです。
物質的・身体的ネグレストはわかりやすい
ですよね。
その子が生きていくために、必要な物質や
食べ物、水分などを供給しないことです。

では、精神的ネグレストとはなに?

今までの文章を読んできた人なら
たぶんおわかりになると思います。

…はい、精神的充足を与えないことです。
つまり、関わらないことです。
もちろん関わりゼロの人なんていません。
そういう極端な話をしているのではなくて
子供の飢え渇きに対して
ある程度…満足100%とは言いません、
これも個人差があるので数値化は難しい
かもしれませんが、100%ではなくても、
子供が「もうじゅうぶんもらった。」と
満足できるぐらいまで、与えられないと
そういうことになるのです。
この「精神的ネグレスト」も精神的虐待
だって知ってます?


関わらないこと=何もしないことだよね?
要するに子供にとっては、
プラスにもマイナスにもなって
いないんじゃないかなぁ、と思う人いますか?

その人はいじめの無視のところもう一度
読んでみて下さいね。

これ、本当に、なかなか理解できない人が
いるんですよ…。

現代の日本の家庭で何が問題かって
これが理解できないばかりに、
いいですか…物質的豊かさゆえに
(一時期に比べれば日本も
貧困の度合いが増えてきているようですが)


「身体的には子供を育てることができても」
(子供を身体的に飢えさせない
という意味で育てることができても)


子供を精神的に育てられない親
(子供の精神面・人格面を育てられない親)
が少なくないということです。

もうお亡くなりになりましたけど、
世界でも有名なマザー・テレサさんが
日本に来て言った言葉は
「貧しい者は、パンに飢える人や路上生活者だけではありま
せん。豊かさの中にあっても、愛に飢える人、
社会から見捨てられる人はもっと貧しい。
食べ物がないことから起こる飢えは、ある意味で
ずっと取り除くのがやさしいものです。
それよりももっと困難なのは、精神的な飢え、愛の渇き、
心の飢えの方です。」
これです。

「身体的には豊かだけど、
心の飢えを抱えている人がどんどん増えている」
という現象が起こってきているわけです。


これが戦後の極貧時代を経験した親の親世代
からの教訓…
「物質的な貧しさをわが子には
味わせたくない。子供には幸せになってほしい」
という教訓に対して
「あまりにも極端になりすぎ
てしまったがために」
社会の多数派が陥ることになった
「子供に対して、精神的充足を
あまりにも蔑ろにしすぎた」
という結果につながってしまったのです。

そしてね、傷のたとえでも心の傷は
目に見えないのでわかりにくいって話しましたよね。

飢え渇きも同じです。心の飢え渇きは
目に見えないので、その人がどれぐらい
精神的な飢え渇きを持っているか
わからないのです。
「ちょっとおなかすいた、
ちょっと喉が渇いた程度の渇きの人」
と、
「二日間何も食べてない。水は少し飲んだ人」
どちらが、元気に、走り回ることができる
でしょうか。そして、どちらがより元気な状態を
持続することができるでしょうか?
このたとえを身体ではなく、精神的な飢え渇き
に置き換えて考えてみてくださいね…。


…はい。今日はかなり長文になりました。
ここで一旦区切りついたので、今日は
これで記事終わりにしますねぇ。

theme : メンタルヘルス・心理学
genre : 心と身体

line
なにこのタイトルΣ(・ω・ノ)ノ!と思われた方も
いると思います。タルタロスのギルドブログなのに…。
一応、このブログは、位置的には
「タルタロスのギルドブログ」
であると共に
「derekonの個人ブログ」でもあるので、
(特にタルリバサービス終了しちゃった後は
この要素が多くなっても仕方ありません。)
結構タルリバと関係ない内容も増えてきています。

しかし、まあ、心の問題は結構ディープな内容に
なるので、あまりにもこれに関する記事が増える
ようなら、いずれ、この内容に関しては
別ブログへ切り離すことも見据えて考えております。

さて、タイトルの内容「依存と共依存」の話になりますが
心理学という学問における定義については、検索すれば
あちらこちらに出てくると思いますので、語りません。
自分の経験上から
「どのようなものだという見解に自分が至っているか」
について語ります。

「依存」のほうはわかりやすいと思うので、
「共依存」のほうを詳しく説明。
(まあ、最近では"共依存"という言葉も結構世間で
聞かれるようにはなってはきてますけどね。)

…一応もう一度言っておきます。
これから語るのは「心理学という学問上の定義」では
なく、あくまでも、自分の体験から、
「今のところ自分は
こういうものと捉えております、という個人的見解」です。

共依存とは…依存とは別の「形を変えた依存」である。
依存が「もらう形で他人に依存すること」だとすると
共依存は
「あげる、与えるという形で他人に依存すること」であり
もう一つの側面として、与える相手を
「与えるということによって自分自身に依存させ
それによって
相手を"心理的に"拘束する"ことになるケースもある」
というものです。

共依存のほうはね、目に見える行動面からは
すごくわかりづらいんです。
いえ、これに陥っている本人も
自覚ないまま、これに陥っている場合が
あるんですよ。
…たぶん、うちの母親いまだにこれ気が付いて
ないと思います。

わかりづらい理由:行動面からは、
親切な人、とても優しい人、とても愛情深い人
との区別がつきづらい。
結局これってね、なんで相手に親切にするか
優しくするかの「動機」に関わってくる部分なので
表向きの行動ではわからないのですよ。
特に他人には区別つかないと思います。
だってなぜその「他者から見て、親切に見える行動」
をしているのか
動機を知ってるはずの本人も気が付かないまま
人生の大半を過ごすことになる人だって
いるのですからねぇ。

では、動機において本来の親切心や愛情と
何がちがうのかについて。

自分自身の心にある、孤独感や、
虚無感、罪悪感、自己否定感などから
来る痛みや苦しみ、精神的な飢え渇きを
他者に「与える」という形で
結果的にいつもその相手を自分自身の
そばに、いさせ続けることで
『埋めようとする』ことが動機になっています。

…つまりですね、自分側に動機が向いている
んですよ。自分自身の心が救われるためなんです。
本物の親切心とか愛情って、動機が
外側(自分自身ではなく相手側)に向いてるものですよね。

そして、なぜ「一番心の中を知ってるはず」の
本人が自分自身のその動機に気が付いていない
ということが起こるのか。

これ、無意識にやってることが多いからです。
意識的に、意図的にやろうとしている自分自身に
気がつくならば、
たいていブレーキかかりますよね。

人の心は意識できる領域と無意識
(つまり意識できない領域)があるというのは
世間でも結構知られていますよね。
そして、心の全体からすると、意識できる領域の
方が少なく、無意識の領域のほうが多い、
という説が心理学での定説です。
まあいわゆる「氷山の一角」が意識できる領域
みたいなものです。

共依存の行動をする動機が無意識にある気持ち
から出ており、当然意識できないから、
この状態に陥っている本人が
気が付かないケースが結構出てくるわけです。
…そう。そして意識できないから、
「ブレーキを踏む必要も感じなくて
そのまま走り続けることになる」のです。

寂しいから一人になれない、いつも誰かにいてほしい、
という気持ちが「ねえ、いつも一緒にいてよ。」と
求め続ける場合だと、わかりやすいですよね?
「ちょうだいちょうだい!!」と
もらう形になるから依存だとわかりやすい。

でも、共依存は「与える形」をとっているだけに
ほんと、わかりづらい。おまけに無意識の領域に
ある気持ちが動機になっている場合は
与えられた他者はもちろん、本人さえ
気が付かないことが多いから、やっかいなんです。
そして、なかなか防ぎようがない。

さっきの依存の例に対して、共依存の場合は
…寂しくて一人になれない、いつも誰かにいてほしい
「だから」
いつも他人に親切にし、やさしくし、愛情深く
あり続けることによって
それによって、与えた対象者に
「ああ、この人と一緒にいるの心地いいなぁ。
ずっと一緒にいたいなぁ。離れたくないなぁ。」
と思わせた結果、相手が自分(共依存の人)から自ら離れない
という選択をさせ、そのためいつも相手が
自分と一緒にいてくれるようになる、という
心理的メカニズムだと思っています。
(ちとでかけるので一旦ここでやめときます。
またいずれこの後、付け足しします)

続き…あと、もうひとつ
与えられた相手が自ら離れていけない選択を
させる心理的メカニズムとして
(1)「居心地がいいから、この人と離れたくない。
ずっと一緒にいたいな。」という気持ちを起こさせるだけ
ではなく、もう一つあるんです。
(2)共依存の人から離れようと思った時に
それに対して
「自分がこの人から離れたらこの人を強烈な孤独感
という苦しみの闇の中に
置き去りにすることになる=自分だけ楽になって
助かろうとすることという認識から来る
「罪悪感、痛み」を持つようになることによって
離れるという選択ができなくなる。

つまり、離れていきたくないという気持ちになる理由が
「心地良さ」と、「罪悪感、痛み」という
正反対の気持ちを引き起こさせ、
いわば、双方向の気持ちによって
かたく拘束しちゃうんです。
(もちろん、結果的にそうなるだけで、ほとんどの場合
共依存の人がわかっててやってるわけじゃないからね。
このメカニズムわかってて利用する人は
マインドコントロールを使いこなしている人
ということになると思います)

今日はあと一つだけにしておきます。
共依存の人は共依存の要素だけ持ってる
わけじゃありません。
「もらうという形で」という通常の依存も持っています。
これは当たり前だよね。
依存したい人は意識的であろうと無意識的であろうと
相手が自分から離れないでもらうために
あらゆる手を尽くすからです。
時には「もらう形で」依存し、
時には「与える形で」依存するわけです。

ただ、個人差があるのは、
依存と共依存の要素がそれぞれ
どのぐらいの割合で持っているかということですね。
心理的要素なので、正確に数値化できる
ものではないですが、
依存:共依存 = 50:50の人もいれば
40:60あるいはその逆の人もいる、
10:90あるいはその逆の人もいる
…というふうに、いろいろな人がいます。

もらう形で依存する要素がほとんどの人は
「相手は、関わり続けることが直接的に重く、
そして苦しく感じる」のでわかりやすい。
でも、共依存の割合が多い人は
「ものすごい心地良さ」を与える要素を
持っているだけに、わかりづらいんです。
…ちなみに、自分もこの要素かなり持ってます。
自覚しております。でも、「自覚できている」という理由と
ある程度コントロールできる部分を持っているという理由で
まだ人間関係なんとかなってるのかもしれません。

theme : メンタルヘルス・心理学
genre : 心と身体

line
タルリバとのコラボを開催した
スマホアプリ「FSW」ですが
イリシアとエルピントスが手に入る
コラボイベント第一弾が3/1までだったようです。
FSWコラボ001
FSWコラボ003
FSWコラボ004
現在はたぶん(…というのはイベント詳細のページが
公式HPに見当たらないため、総合ゲーム情報サイト
の記事でしかわからないので…)
、ソーマとルコが
手に入る第二弾イベント中だと思います。

FSWコラボ002
FSWコラボ02
FSWコラボ03

イベント専用のダンジョンをプレイし、
"Normal"をクリアするとルコが
"Hard"をクリアするとソーマ君が
手に入るようです。

…さぁて、タルのキャラ、何人まで
FSWに登場させる計画なのかなぁ。

何キャラまで登場させるにしても
いずれにしてもこれで、
タルリバ公式さんの
「またきっと会える!」ツイートのねらいは
回収済みということになるのでしょうねぇ。(ため息)

theme : タルタロス:リバース
genre : オンラインゲーム

line
さて、ここでスクリーンショットの記事から一旦離れます。
そして例により、
タルリバ終了により暇な時間がたくさんできたため
一日一記事アップではなく、今日もさらに追加アップです。

今回、感慨深かった出来事。
それはギルメンのノブOOさんがサービス終了前に
帰ってこれたこと。

「もうログインできないかもしれない。」という
事情が事情だっただけにね、再びノブさんのログイン
表示を見た時には本当に大きな感動をおぼえました。

・住居の引越しをする
→新しい住居のネット開通が
タルリバ終了までに間に合うかわからない

→自宅のネットが開通しなくても、ネットカフェから
ログインできるのでは?

→仕事や引越しの荷物の
片付け作業などの忙しさからそれもできるかどうか
わからない。

…こういう事情でもしかしたら最後のログインになるかも
と言って旅立っていっただけにこの人のログインの
システムメッセージによる通知を見たは、本当に
嬉しかったです!!
タルリバ終了日にもう一度ログインできて
本当によかった!!!

前回の「今日が最後になるかも」のやりとりの
詳しい記事はこちら→ここをクリック

その時質問したのですが、ログの流れがはやくて
返信コメントを見ることができなかったのですが
結局どうして戻ってこれたのでしたっけ?
1.自宅のネット開通がはやく完了した。
2.自宅のネット開通はまだだけど、
なんとかネットカフェからログインした。
3.オレはガンダ(ry だ!!
ガンダ(ry は伊達じゃない!!

…すみません^-^A;;
はずかしがり屋なもので
ずっと真面目な雰囲気続けるの
苦手でして、ついネタ投入してしまうんです。

前の記事の二つの意味での
タルタロスへのログインのうち
一つ目はかないました。
もう一つの意味でのログインも
叶うといいですよね!!

theme : タルタロス:リバース
genre : オンラインゲーム

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プロフィール

derekon

Author:derekon
ギルド「トロイメライ(旧)」
「アルモニ(リバース)」
のメンバー。

性別は男です!
(*`・ω・)ゞビシッ!

チャットでのやりとりだと
女性と間違われることが
多くて困惑ぎみ^-^A;;
なぜなのでしょう??

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